Vol.22〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
1−2 環境②〈文化環境〉
「真っ暗」と思われていた戦前の社会・時代環境であるから当然文化環境についても「暗い」と思われているのは当然であろう。というか、文化などなかったと思っている人間も多いのではないかと思う。そこで、その当時の子どもを取り囲む文化が実際にどうであったのか手塚治虫が子ども時代に触れた文化を見てみたいと思う。
手塚が生前トキワ荘を中心とする「弟子」たちに、「良い映画を見ろ、一流の音楽を聞け、一流の本を読め、一流の芝居を見ろ」と言っていたがそれは自らが歩んだ道であったことがわかるであろう。
1−2−1 文化環境①〈漫画〉
盛んだった漫画出版
戦前には漫画文化などなかったように思われがちであるが決してそんなことはない。前項でも述べたように昭和6年に『のらくろ』が「少年倶楽部」に連載されて大ヒットし空前のマンガブームが巻き起こっていたのだ。実際、「1920年代から1930年代にかけてのざっと15年間は、日本の子供まんがの成長期から最盛期」(「雑誌とまんがに見る昭和初期の児童文化」秋山正美『誕生!手塚治虫』収録/朝日ソノラマ)といった様相を呈しており、手塚治虫に言わせると「見ようと思えば本当に身の回りはマンガだらけ」(『漫画の奥義』)という状況であった。
さらに、「意外なように思われるかもしれないが、昭和戦前期の子供漫画の質の高さは、日本漫画史の中でも特筆すべきものがあり、再評価に値する」(清水勲『漫画の歴史』/河出書房新社)というほどクオリティも高く、子どもにとって質量共に恵まれた漫画読書環境にあったのだ。それでは手塚が育った昭和初期の漫画環境がどのようなものであったか、わかりやすくジャンル毎にカテゴライズしながら見てみよう。
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