Vol.62〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
手塚治虫を育てた環境④家庭環境〜母親手塚文子
1−4−3 家庭環境③手塚文子
手塚治虫の最大の理解者
今までは主に家庭環境における文化的、経済的側面を見てきたが、やはり母親を抜きにして手塚治虫を語ることは出来ないであろう。
陸軍中将の娘に生まれた母文子はストーリーティラーとしての才能や激しい競争心といった性格を手塚に分け与えたと思われるが、その最大の功績は何よりも息子が医者の道を断念してマンガ家になることを認めたことにある。これについては我々も感謝しなければならないことであろう。
通常手塚治虫の家庭環境を考えるならば、マンガ家になるのことはほとんど有り得ないことである。幾ら才能があったとしても、医者、法律家、エリートサラリーマンと続いた家系に当時職業としてほとんど認められていなかったマンガ家が加わるなど考えられない。医者の道を歩んでいる息子を支持した文子はある意味「マンガの神様」誕生の最大の功労者かも知れない。
また、手塚治虫は池田師範付属小学校(現大坂教育大学付属池田小学校)で、漫画を書き続けることを勧めてくれた生涯の恩師乾秀雄先生出会うが、これも教育熱心であった母親のおかげであろう。当時の池田小学校は進取の気風に富む最先端の学校であった。北野中学(現北野高校)の美術教師岡崎先生といい手塚は教師にも恵まれている。
以上、手塚治虫を取り囲む環境を見てきたが、手塚は戦前の豊かな文化環境、豊かな家庭環境で育った。それは、おそらく歴代のマンガ家の中でもずば抜けて恵まれたいたといえるではないだろうか。
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