第二部手塚治虫とアニメ
2−3 アメリカでブレイク
アメリカでの苦戦
アジア、ヨーロッパで破竹の快進撃を果たしていたアニメも、発祥の地であるアメリカにおいては長年苦戦が続いていた。
その創生期においては『鉄腕アトム(Astro Boy)』の全米放映、それに『ジャングル大帝(Kimba The White Lion)』や『マッハGoGoGo(Speed Racer)』が続くというビギナーズラックがあったが、1970年代以降にアメリカで起きた子ども向け番組の浄化運動の影響を受けた厳しい規制のせいで日本アニメはすっかり影をひそめ、結局それ以降テレビから姿を消した。
いや、正確に言うと、70年代以降も輸出はされてはいたのだが、それは「アメリカ製アニメ」をつくるため「映像素材」としてであった。
この頃アメリカに輸出されたアニメは、音楽や声を吹き替えられるばかりではなく、タイトルやキャラクター名も変更され、原形をとどめないまで編集され、「アメリカ製アニメ」としてオンエアーされたのである。
例えば『科学忍者隊ガッチャマン』は1978年に『Battle of the Planets』というタイトルで放映されたが、この作品は当時大流行していた『スター・ウォーズ』に便乗したもので、忍者とは何の関係もない宇宙を舞台とした戦士のストーリーに改変されていた。
ストーリーはもちろん、キャラクターの名前やイメージもすっかり変更され、おまけにR2ーD2にそっくりなロボットまで付け足されオリジナルのイメージは完全に消え去っていた。
もし日本でこのような大改変を行ったら原作者等からクレームが殺到し大問題に発展するであろうが、アメリカではそもそも「著作者権人格権」という概念が希薄なためで、一旦契約で手に入れたものを自由に改変することに躊躇がない。
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