第二部手塚治虫とアニメ
2−3 アメリカでブレイク
ビデオの登場で生じた変化
そんな状況下、ビデオが普及しはじめた70年中盤、アメリカで日本アニメのビデオを回覧するファン組織が誕生した。
彼らはアメリカの日本人向け放送でオンエアーされたアニメを交換することからはじまり、次第に自分たちでファンサブ(fansab=fan subtitled=ファンによる字幕版)と呼ばれる字幕をつけるようにまでなった。こういった熱心なアニメファンによって80年代から徐々に日本製アニメが浸透して行くのであるが、大幅に前進するきっかけになったのは何といっても『AKIRA(アキラ)』の登場であろう。
大友克洋が監督し、日本でも注目を集めたこの劇場アニメは1989年にアメリカで公開されたたが興収わずか55.3万ドル(約6,360万円、1ドル=115円)に過ぎなかった。
しかし、それにもかかわらずビデオが10万本単位で売れ一躍話題になった。さらに、ジェームス・キャメロンなどハリウッドの映画監督達から絶賛され、「日本のアニメはクール」という印象を与えることに成功したため、90年代に入ると日本のアニメを専門に取り扱う配給・ビデオ会社が続々と現れはじめた。
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