第7回東京国際アニメフェア⑲〜第四回アニメ功労賞その2大塚康生、清水達正、田代敦己、鳥海尽三、村田英憲の各氏
今年の功労賞受賞者はちょうどテレビアニメ放映開始以降に活躍された方々が多い。その中で大塚康生氏は東映動画の『白蛇伝』に参加されており受賞者の中で一番古い業界キャリアを持っている。アニメーターたとしの功績は今さら述べるまでもないが、隠れた功績としてはその人柄ゆえかアニメ業界の人員を適材適所に配置したことも挙げられるのではないかと思う。また著書も多い。アニメ制作に関わる記述が中心だがアニメビジネスの歴史を知る上でも貴重な資料となっている。御年77歳で今年喜寿を迎えられるが現在でもテレコムアニメーションの技術顧問を務めながらジブリをはじめ国内外のスタジオ、専門学校に招かれその技術を教える日々を過ごしている。
清水達正氏は東映動画、虫プロで撮影を担当し動画撮影専門の東京アニメーションフイルム(アニメフィルム)を設立、『巨人の星』や『未来少年コナン』『ドラえもん』といったTV作品を数多く手がけた。このアニメフィルムであるが撮影専門スタジオであるにも関わらず、滝沢 敏文、大地丙太郎、池端隆史、水島精二といった演出家を輩出している。このこととは関係ないかも知れないが撮影がデジタルに変わってから撮影出身のデジタル・クリエーターが多くなった。撮影もできるクリエーターが多くなったとも言えるかも知れないが、撮影と演出とどういう関係があるのだろう。面白い現象である。清水氏は既に鬼籍に入られて四半世紀となるが今回はご子息が代理で受賞された。
田代敦己氏は言わずとしれたグループタックの代表であるが、今回は日本で音響監督という職制を確立したということが評価されての受賞となった。虫プロを経て比較的早い時期にグループタックを設立した田代氏であるが、授賞式のコメントで、「『宇宙戦艦ヤマト』の音響監督を担当したとき、プロデューサーが戦闘シーンでバンバン音をつけるようにと言われ、あえてゆったりとしたバラード調の曲をつけて、それをプロデューサーに聞かせたら黙っていた」と述べた言葉には氏の反骨精神が伺えた。1940年生まれの田代氏はタックの看板監督である杉井ギザブロー氏と同年の68歳であるが、失礼ながら今でもGパンの似合うダンディさであった。
この功労賞の受賞者の選考は昨年末には終了していたが、今年の一月に鳥海尽三氏逝去の訃報が伝えられた。脚本家としては昨年の辻真先氏に次いで二人目の受賞であった。実写映画の脚本を経てアニメ界に入ってきた鳥海氏のキャリアは一貫してタツノコプロとのコラボレーションにあった。タツノコ最初のアニメ『宇宙エース』から『ガッチャマン』『タイムボカン』など主要作品をすべて手がけている。享年78。早過ぎる死とはいえないが、せめて授賞式までは存命して頂きたかったところである。今回は奥様が替わって受賞された。
村田英憲氏といえばエイケンである。中央大学在籍中に全日本自動車連盟初代委員長を務めた関係でヤナセの梁瀬次郎氏(現名誉会長)と知り合い子会社のCM制作会社TCJに入社。それ以降の動きについてはよく知られるところであるが、氏そのものが日本のテレビアニメの歴史と言えるであろう。今年80歳になられるが代表取締役会長として現役を続けておられる。当日も元気な様子で挨拶を述べておられた。