右肩上がりのアニメビジネス2〜アニメ産業の胎動東映動画誕生
時代劇で一世を風靡した東映の社長である大川博がアニメに興味を持ったのは、戦後一斉に公開された黄金時代のアメリカやロシアのアニメに触発されてのことであるが、その根底にはディズニーのように世界を相手にビジネスを展開したいという実業家的発想からであった。
「東洋のディズニー」を標榜する大川はすぐに行動に出た。1951年戦前からのアニメ制作者が集う日動映画を買収、東映動画を設立し大泉にマルチプレーンなど最新設備を備えた巨大なスタジオを起工。1953年、アニメ産業のスタートがスタートするきっかけとなった初の劇場長編カラーアニメ『白蛇伝』を世に送り出した。「大東映」が自信をもって世に送り出したこの超大作に対する大川博の意気込みは当時の予告編で見ることができる(『白蛇伝』DVDの予告編に収録されている)。
『白蛇伝』は大川博の目論見通り国内外でヒットした。海外で上映され10万ドルの外貨を獲得したことにも大いに満足したことであろう。これによって東映動画は毎年長編劇場アニメを製作することとなり日本のアニメ産業は大きく前進する。
この作品は同時にその後日本のアニメ界を背負うクリエーターにも大きな影響を与えた。手塚治虫はアニメ製作の決意を固め、当時高校生だった宮崎駿氏はヒロインに恋をしアニメへの道を歩むことになる。
長編アニメ路線を確立した東映動画は毎年『少年猿飛佐助』『西遊記』『安寿と厨子王』『アラビアンナイト』『シンドバットの冒険』といった傑作を次々とヒットさせて行く。
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