問題作『ベオウルフ』②〜人間と3Dアニメの相性
『ベオウルフ』は、「ますます高度化するホームシアターに対抗して、観客の劇場離れをくい止めるためには、新たな技術の導入が不可欠だ」(パンフレットより)というアメリカ映画興行界の要望に対するひとつの答えである。常に〈今まで見たことのない映像〉を目指すアメリカ映画界のフロンティア・スピリットがよく現れている。
その「新たな技術の導入」こそが「パフォーマンス・キャプチャー」と、その映像の迫力を増大させる3-D立体映像である(立体映像自体は古くからあるが)。確かにこの2つの手法が生み出す迫力は自宅では得難い。
しかし、この「パフォーマンス・キャプチャー」をどのように考えるかどうか、なかなか頭を悩ませるところである。まず非常に単純な話、わざわざ有名俳優を起用するなら、なぜそのまま実演させないのであろうかという疑問が湧く。敢えて役者の容姿と動きを取り込んでまでanimateする必要があるのだろうか?どうしてそのような面倒なことをするのか。人間と3Dアニメの合成にすればよいのではないか。
3Dアニメで人間をリアルの描くのは難しい。常に違和感が伴う。これは、あの劇場アニメ『ファイナルファンタジー』以来続く、人間の表現と3Dアニメの相性の問題である。『ベオウルフ』の評の中で、「蝋人形」というのがあるが言い得て妙だ。格段に進歩はしたものの、違和感は否めない。しかし、一方ゲームに見慣れた目にはどうなのであろう。意外と素直に受け入れられているのだろうか。
ゲームの影響であろうが、日本では『ベクシル』『エクスマキナ』など3Dアニメで如何に人間をリアルに描くかに腐心した。一方、アメリカの場合、人間の表現はcartoon的誇張に止め、3Dアニメの最適表現キャラクターは動物、モンスター、機械(ロボットや車)に定めた。
そこに登場したのが「パフォーマンス・キャプチャー」である。まず『ポーラ・エキスプレス』においてそれが試された。トム・ハンクスの容姿と動きをそのまま取り込みanimateした。その試みに対する正直な感想は、何でこんなことをやるのであろうというものであった。ストーリーは楽しめたが、キャラクターは無気味で馴染めない。正直、ロバート・ゼメキスが何をやろうとしているのか理解できなかったのは確かである。
ベクシルやアップルシードは聞いた話では
出来ないことはないが違和感があるので
3Dならではのアニメ感を意識したとどこかで言っていたような気がします
リアル一辺倒でもないようですよ
まだ発展途上なのでしょうけれど中々良い考えだなと
投稿情報: 魚 | 2007/12/22 04:44
増田です。
ご意見有り難う御座いました。
日本の一連の3Dの特性を意識したキャラづくりという考え方は知りませんでした。リアルではない、3Dならではのキャラづくりという考え方ですね。
なるほど。
多分、技術的にはベオウルフも可能ということなのでしょうが(もちろん予算の問題はあるでしょうが)、敢えてその路線には進まないというコンセプトなのでしょう。今後どのような発展を遂げるのか見守って行きたいと思います。
投稿情報: 増田 | 2007/12/22 09:11