岩波ジュニア新書アニメ関連本⑥〜鈴木伸一『アニメが世界をつなぐ』〜トキワ荘での出会い
鈴木さんが、かのトキワ荘の住人であったことは余りに有名であるが、本書ではそれ以前のことについて書かれてある。長崎県で生まれ満州で育ったその生い立ちは決して恵まれたものではなかったようであるが、マンガとの出会いがその後の人生を切り開いてゆく。
鈴木さんの人生の転機はやはりトキワ荘での出会いであろう。「漫画少年」を通じて知り合った投稿仲間である藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫との出会い、そして既に若くしてその名を馳せていた手塚治虫との出会いなどがその後のアニメ人生を決定づける。
デザインを志していた鈴木さんが本格的にアニメを取り組むようになったのは、トキワ荘ときわ時代に紹介された横山隆一の「おとぎプロ」で働くようになったことがきっかけになっている。横山隆一は早稲田のシンボルマークにもなった『フクちゃん』を長年に渡って描いていた日本漫画界の巨匠であるが、一方でアニメのためのプロダクションも「おとぎプロ」を主宰していた。
「おとぎプロ」は横山隆一のプライベートなアニメ制作スタジオである。スタジオといってもそこは横山隆一の自宅の隣に建てられた日本家屋で、どちらかというと工房と言った方が似つかわしいが鈴木さんはそこに住み込みのアニメーターとして働くことになった。横山隆一が住んでいる母屋の風呂に入り、食事もその家族と一緒に摂るという極めてアット・ホームな状況の中でアニメ制作が行われていたのである。
鎌倉に居を構えていた横山隆一のもとには鎌倉文士と呼ばれる文人が数多く集っていたようだ。大佛次郎や久保田万太郎、今日出海など鎌倉在住の作家や、当時大船にあった松竹撮影所の小津安二郎や佐田啓二(中井貴一の父親)がしばしば訪れていたようだ。
そんなおとぎプロを経て一本立ちした鈴木さんは、トキワ荘時代に仲間とアニメをつくるべく「スタジオ・ゼロ」を設立。藤子不二雄、石森章太郎、つのだじろうといった面々が発起人だが、その初代社長として数々のアニメをこなすことになる。
アニメと共に人生を送ってきた鈴木さんであるが、年を経るごとに忙しさが増しているとのことである。おそらく生涯現役として活躍されることであろう。
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