Vol.18〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
昨日に引き続き戦前の「空気」を記してみたい。
〈昭和8年/1934年〉
・ 東京府立第一高女、千代田高女など女性と411名に聞いた結婚したい男性の職業はというアンケートに、銀行員、官吏という答えが上位を占めた。(*当時の銀行員は今以上のエリート、官吏は高級官僚。女性の好みは変わらない)
・ 「のらくろ」のお面が売り出され、3〜4ヶ月で500万枚が売れた。その他のキャラクター商品も大ブーム。(*日本で最初のマンガキャラクターブーム。現在の半分の人口であったことを考えればポケモン以上?)
・ 「ナカムラ・マンガ・ライブラリー」の第一冊目大城のぼる『愉快な探検隊』発刊。(*手塚治虫がこよなく愛したマンガシリーズである)
・ アメリカンヨーヨーが一個10銭で500万個生産するという大ブームとなる。(*意外と古いアメリカンヨーヨーの歴史。定期的にブームがあったことがわかる)
・ 永井荷風の日記ではどうか。「(銀座風月堂で)三四人の子どもをつれて食事に来たれる客あり。相応の風采をなす客なれど、其子供は猿の如く、室内を靴音高く走りまはり、食卓の上に飾りたる果物草花を取り、又はナイフで壁を叩く。父母とも見ゆる者これを制せむともせず、その為すがままにして置くなり。他の客又は給仕人の見る前を愧る様子もなし。今の世の親達は小児のしつけ方には全く頓着せざるが如し(昭和8年10月21日)」(*躾の崩壊はこの頃からはじまっていた?) 「水戸の中学生は今日似ても甚殺伐なり。明治四十年頃新任の教師を担当にて威脅せしものあり。ハイカラの英語教師を縄にて縛り教室の窓より投出し退校を命ぜられしもの有り(昭和8年10月29日)」(*こちらは学校崩壊?)
〈昭和9年/1934年〉
・ 松田源治文相、「パパ、ママという呼び方は日本古来の孝道に反する」と非難。(*大臣が言うほど一般化していたということか)
・ 東京市内の遊技場、第一位はビリヤード場1786軒、第二位マージャン屋1249軒。警視庁、カフェ・キャバレーへの学生・生徒・未成年の出入りを禁ずる。但し、「制服を着ぬ客はこの限りに非ず」という抜け道もあった。(*当時の学生は今と比べものにならないくらいエリートであったが、やはりどら息子もいたようだ)
・ 蒲田の六郷小学校前横断路に押しボタン式自動信号機が設置される。(*意外と歴史がある)
・ 東京市内の各デパート、学生アルバイト締め出す。女店員との交際目当てが余りにも多いため。(*とても戦前とは思えない話である)
・ 東京・等々力のゴルフ練習場に投光設備、500W投光器が20台設置。(*この頃からゴルフブームがはじまったらしい)
・ 以下永井荷風の日記より。「高橋君来たり放送局のアナウンサア雇入試験のことを語る。鮨をまぐろとよむものあり。金平牛蒡の何者たるかを知らざるものあり。小督局(こごうのつぼね)をコトクキョクと読むものもあり。いづれも私立大学の卒業生なりと云ふ(昭和9年1月21日)」(*放送局とは昔のNHKラジオのことである。今でも誤読をするアナウンサーは多いが、間違える漢字のレベル高い)
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