Vol.19〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
戦前の世相
〈昭和10年/1935年〉
・ 手足のむだ毛を取る脱毛剤流行。(*エステはなかったが)
・ 女学生の間に、「君、僕、失敬、何言ってやがるんだい」などの男言葉が流行。(*すでに女性の言葉が崩れはじめている)
・ 東京帝大の趣味のトップは映画で1600人、次いで音楽1400人、囲碁・将棋1300人、玉突き260人、マージャン2120人。(*映画は今のテレビと映画を合わせたメディアであった)
・ 以下永井荷風の日記より。「この夜銀座表通りのみならず裏通りにも制服の学生泥酔放歌して歩むもの多く裏通りの小料理屋にも学生乱酔して喧嘩するものもあり。諸学校この頃暑中休暇に入りし為なる由通行人の話なり(昭和10年7月9日)」(*その頃は学生野球が大ブームで、早慶戦が終わると慶応の学生は銀座に繰り出した)
〈昭和11年/1936年〉
・ 日劇ダンシングチーム、『ジャズとダンス』で初公演。「日劇・秋のをどり」初公演。大ヒットし、以後三大をどりのひとつとなる。(*宝塚、松竹に続く女性レビュー)
・ レビューガールの人気が急増し、宝塚音楽学校の競争率は15倍。(*タレントキャラバンがなかった時代である)
・ パチンコブーム。高知市ではこの半年間に35軒のパチンコ屋が開業。(*パチンコは70年以上の歴史があるのだ)
・ 松山樹子、松尾明美ら我が国初のクラッシック・バレエダンサーが誕生。(*どうも踊りに人気があったようだ)
・ キューピー人形ブーム。
・ 以下永井荷風の日記より。「一隅の卓子に米国生まれの日本の女五六人にて英語にて語り合ふ。その傍には、洋装断髪の女又三四名、巻煙草をふかして男のような口調にて活動写真のことを語り合へり。これ銀座の飲食店にて珍しき光景にあらず。されど目のあたり之を見れば、東京の生活の古き伝統は全く滅びたりとの感慨を得ざるなり(昭和11年5月30日)」(*差詰め帰国子女といったところかで)
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