Vol.20〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
近づく戦争の足音の中で庶民は・・・
〈昭和12年/1937年〉
・ 浅草六区、第一次世界大戦以来の好景気。一日平均30万人が押し寄せる。その浅草に定員3993人と東洋一のキャパシティを誇る国際劇場がオープン。松竹少女歌劇(SKD)の『東京踊り』で開幕。(*教科書ではそろそろ「真っ暗」になった頃である)
・ レビュー狂いの妻に夫が離婚訴訟。妻が松竹少女歌劇の男装の麗人の熱烈なファンとなって、自宅に連れ込んで深夜まで蓄音機をかけて騒ぐため近隣の哄笑の種になっているというもの。(*戦争に向かう国の出来事とは思えないが)
・ 国鉄、おとぎ列車の「ミッキーマウストレイン」を走らせる。(*少なくとも庶民のレベルではアメリカと戦争するとは思っていなかったであろう)
・ 内務省衛生局、麻薬中毒患者増加に対し一掃を命令。(*この頃はアヘン中毒患者が多かった)
・ 「小倉百人一首」に代わり「忠君愛国一首」が登場。但し国民には不評で、世はマージャンブーム。
・ そして、例によって永井荷風の日記である。「夜浅草散歩。今半に夕食を喫す。今宵月もよし。十時過活動館の前を過ぐるに看客今正に出払ひたるところ、立並ぶ各館の戸口より冷房装置の空気道路に流出で冷なるを覚えしむ。花川戸の公園に至り見れば深更に近きにも係わらず若き男女の相携えて歩めるもの多し。皆近鄰のものらしく見ゆ。余この頃東京住民の生活を見るに、彼等は其生活について相応の満足と喜悦を覚ゆるものの如く、軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、寧ろこれを喜べるが如き状況なり(昭和12年8月24日)」(*庶民は至って暢気であった様子が伺える)
〈昭和13年/1938年〉
・ 銀座三丁目にホットドッグのスタンドが登場。洋風に飾り立てた屋台が珍しかったこともあり、新しもの好き銀座マンたちの人気を呼び名物となった。(*今なら差詰めマックといったところか。そういえばマックの一号店は銀座だった)
・ マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』、エヴァ・キューリー『キュリー夫人伝』などがベストセラーになる。(*戦争中に『風と共に去りぬ』をつくる様な国と戦争したのだ)
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