Vol.25〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
漫画③〈赤本漫画〉
戦後マンガ雑誌や貸本マンガなど出現するまで、子どもたちの間でポピュラーだったのは親が子どものおもちゃとして買い与えていた廉価な赤本漫画であった。赤本はもともと江戸中期に端を発する幼童向けの草双紙で、表紙が丹色(にいろ)のためこの名で呼ばれたが、明治時代以降は赤主体の極彩色の表紙の少年向け講談本などを指すようになった。
その後、さらに転じて、内容、体裁ともに低級俗悪な本や縁日などで売られるいかがわしい本をいうようになり、その中に子ども向けの漫画本もあったのである。そのため、赤本は本屋ではなく駄菓子屋や夜店で売られており、値段も10銭、15銭(現在の200〜300円程度)と安く、読み捨られる消費財であった。
戦前の赤本は後に出てくる立川文庫系列の物語を中心とした他愛ないものが多かったが、その経済性から子どもに深く浸透していた。もちろん、手塚治虫この赤本の影響を受けていたかどうかは定かではないが、当時の子どもの常識としてそれに対する知識は十分あったと思われる。
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