Vol.26〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
手塚治虫を育てた文化〜漫画④〈雑誌掲載マンガ〉
戦前の子どもたちに大きな影響を与えたのは『幼年倶楽部』『少年倶楽部』『少女クラブ』などを中心とした講談社の雑誌である。その当時の少年少女の間で圧倒的な人気を誇った三誌の合計販売数は200万部にも達し、それら以外の子ども雑誌はなきに等しい感があった。これらの雑誌のメインは吉川英治、山中峰太郎、佐藤紅禄といった作家による啓蒙、冒険小説であったが、もちろん子どもの大好きなマンガも載っていた。
経済的な余裕があった手塚家では『幼年倶楽部』から定期購読していたようだが、中でも治虫少年が夢中になったのは小学校から読みはじめた『少年倶楽部』であった。島田啓三の『冒険ダン吉』(昭和8年)、坂本牙城の『タンクタンクロー』(昭和9年)などの人気漫画が連載されていたが、その中でも虜になったのは田川水泡の『のらくろ』(昭和6年連載開始)である。『のらくろ』は戦前の子どもを熱狂させた超人気キャラクターで、前にも述べたようにそのお面が500万個も売れたという当時としては驚異的な求心力を持つ漫画であった。
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