Vol.29〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
手塚治虫を育てた文化環境③〈活字出版文化〉
手塚治虫が影響を受けたのはマンガや紙芝居だけでではない。活字から受け部分も非常に大きい。伝記を読むと古典文学をはじめとしてありとあらゆるジャンルの本を片っ端から読んでいた様子が伺えるが、手塚が読書に熱中しはじめた頃は、いわゆる「円本」ブームによって国内外のあらゆる名作が安価に入手できるという読書環境が生まれていた。
円本のルーツは、かつて社会主義的傾向を帯びた急進的雑誌「改造」で一世を風靡した改造社が、経営危機を解消しようと目論んで刊行した「現代日本文学全集」に端を発するものである。大正15年に配本がはじまったこの全集は全37巻、定価は各巻1円であったため「円タク」(1円で市内ならどこでも行けるタクシー)にちなんで「円本」と呼ばれるようになったのだが、その成功の秘訣は価格設定にあった。この定価の1円(今なら2,000円)という価格は現在でも決して安くはないが、それまでの単行本は2円から2円50銭もする上、円本ほどのボリュームもなかった。そのため申込みが殺到し、刊行前に実に25万人もの人間が予約することと相成った。
そして、この改造社の成功を見てすぐに他の出版社も同様の企画を立てたのである。翌昭和2年には早くも新潮社が同じく一冊1円の「世界文学全集」全38巻を刊行開始、こちらも58万部を売る大ベストセラーとなり刊行数200とも300ともいわれる本格的な円本ブームが巻き起こった。これによって当時の日本人は日本文学の主要作品はもちろん、世界中の名作に接することが出来るようになったのである。
もちろん手塚治虫もその恩恵に浴した。手塚家には新潮社「世界文学全集」、アルス出版の「日本児童文庫」があり、また通っていた小学校には「小学生全集」が揃っていた。こうした円本ブームのおかげで手塚は幼少期から古今東西の名作に触れることが出来たのであった。ここにも手塚の運を見ることができる。
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