Vol.21〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
戦争直前の風景
今まで見てきたように戦争への道を歩んでゆく中においても、国民は今とさほど変わらぬ感覚で生活を送っていたことがわかる。戦争が間近に迫った昭和14年でも、「去月末蛎殻町にて紹介せられし時子という女に逢ふ。(中略)誘はるるがままに数寄屋橋際なる日本劇場に入る。番組は活動写真と舞踏一幕となり。午後二時頃なるに殆空席なき程の大入りなり。
(中略)看客の大半は若き女にて、夕方よりカフェー酒場等にはたらきに行くもの、又は定りし職業なきものなるが如し。昼夜銀座を遊歩して家に帰りて婦人雑誌をよみて時間を空費する者共なるべし」(『断腸亭日乗』(永井荷風/昭和14年8月31日付)といった軍隊が知ったら頭から湯気を立てそうな雰囲気を伝えている。
また、昭和15年に締結された日独伊三国軍事同盟によって日英・日米関係が決定的に悪化したのにも拘わらず、「国民」はアメリカ映画に夢中で、開戦の前日までフランク・キャプラの『スミス都へ行く』、ゲーリー・クーパーの『マルコ・ポーロの冒険』、『テキサス決死隊』、『大平原』といった作品が上映されていた(『一少年の見た〈聖戦〉』小林信彦/ちくま文庫)。
少なくとも戦況が本格的に悪化するまで庶民はそれなりに生活を楽しんでおり、決して「真っ暗」な社会でも時代でもなかった。実際、手塚の文章でも戦争色が強まるまでは暗い世相に関する記述は見当たらない。そして、そのような社会・時代環境で手塚治虫は育ったのである。
それでは次に手塚治虫に直接影響を与えた戦前の文化環境について言及してみたいと思う。
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