Vol.53〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
手塚治虫を育てた環境④家庭環境〜祖父手塚太郎その5
裁判官としての境遇
政府の方針転換で傍系を歩まざるを得なかったとはいえ、司法資格を持つ手塚太郎が高級公務員であったことは間違いない。
大正末期、太郎が長崎控訴院で院長を務めていた時代の高級官吏年俸は、一番高い内閣総理大臣で12,000円であり、司法関係のトップである大審院長(最高裁判所所長)は7,500円で三番目、控訴院長は六番目でそのうちの一級(東京)が6,500円、二級(地方)が5,800円であった。
従って、退職した時点での手塚太郎の俸給は年俸5,800円のクラスであったと推測されるが、同格の官吏としては資源局長官(資源エネルギー庁)、学習院長、李王職長官、公使大審院部長、会計検査院部長、朝鮮総督府部長などで、政務次官よりひとつ下、樺太庁長官、官立大学長、府県知事よりひとつ上であった。年俸5,800円は現在の感覚だとどれ程のものであろう。もちろん、現在の感覚と異なっているであろうが推測してみたい。
コメント