Vol.76〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
手塚スクールの形成〜その1
手塚チルドレン
2006年に亡くなるまで長らくコミュケ準備会の代表を務めていた米沢嘉博は、その著書『戦後SFマンガ史』(ちくま文庫)の冒頭で、「現在のマンガの起点を、手塚治虫のデビューに置くということに関して異論があるとしたら、当の手塚さんぐらいであろう。それほど、現在マンガを描いている作家達のほとんどは、手塚治虫に影響を受けている」と述べている。
この本が出版されたのは現在から30年ほど前の1980年であるが、2008年時点で気鋭のマンガ評論家南信長が、「現在、我々が見慣れている形式のマンガの創始者といえば、やはり手塚治虫ということになろう」(『現代マンガの冒険者たち』NTT出版)と述べている様にその評価は未だに変わらない。
このように、およそ昭和に生を受けた日本の子どもで手塚治虫のマンガを見なかった子どもはおそらく存在しない。また、実際プロになった人間で実際手塚の影響を受けなかった者はいないであろう。
手塚と画風が異なる劇画界の巨匠である白土三平やさいとうたかおなども初期においては手塚治虫タッチのマンガを描いていたことで知られるが、これは夏目房之介がいうように、「手塚マンガの表現様式が、'50年代後半月刊誌で全盛をきわめて、子どもマンガにおける目指す基本みたいになってしまって、いわば「制度」になって」(『手塚治虫の冒険』/小学館文庫)しまったからであろう。
その意味で少なくとも手塚以降にマンガ家になった人間はある意味手塚チルドレンと言えるのである。
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