『もっとわかるアニメビジネス』解説〜第一章アニメーションとビジネス13
60年体制が続く日本のアニメーション業界2
70年代に入り5社体制が崩れる。虫プロが倒産したのである。そのため、ここで育ったスタッフが世に放たれた。それらの人物がつくった会社の名前を挙げると、直系の手塚プロ(1968年設立、手塚治虫のマンガ制作・管理を取り扱う会社としてスタート)は別格だが、資本が変わって存続した虫プロ、ダイレクトに人脈が繋がっているサンライズ(1972年、設立当時はサンライズスタジオ)、マッドハウス(1972年)、既に消滅してしまったがグループタック(虫プロ倒産以前の1968年設立)などなど。
代表が在籍していたという意味ではオフイスアカデミー(1963年)、中村プロダクション(1974年)、シャフト(1975年)、スタジオ・ライブ(1976年)、ギャロップ(1978年)、京都アニメーション(1981年)、A.P.P.P.(1984年)などがある。ぴえろの代表も一時在籍していた。
さらに、スタジオ・ユニといった美術会社、オーディオ・プランニング・ユー、マジックカプセルといった音響会社もある。また、ボンズ、マングローブ、ノーマッド(代表はぴえろ→マッドハウス)などの「孫」に当たる会社も増えている。
TCJ(日本テレビジョン株式会社)は1969年に、「株式会社テイ・シー・ジェー動画センター」として本体から分離、その後1973年にエイケンと改名した。ここからズイヨー、さらにそこから日本アニメーションが枝分かれしている。スタジオ・ライブの芦田さんがアニメのキャリアを歩みはじめたのもTCJからである。
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