コンテンツ屋から見たIT屋
今回は考えても見なかったケータイというIT業界で働くことになって感じたことについて述べてみる。
私は自分のことをコンテンツ屋だと思っている。音楽、映像、出版、そしてアニメを手がけてきた。キャリアから見てもコンテンツ畑一筋なのだが、縁あってITの仕事に関わるようになった。ということで私の目から見たIT屋について述べてみたいと思う。
面白いのはコンテンツ屋とIT屋のカルチャー・ギャップである。古くて申し訳ないが野坂昭如の歌のように、コンテンツ屋とIT屋の間には「深くて暗い川がある」(黒の舟歌)ように見える。私が見る限り両者に接点はほとんどない。
コンテンツ屋はIT屋を、「中味も知らずにコンテンツをくれくれとしか言わないうざったい野郎」と思っているし、IT屋はコンテンツ屋を「売ってやるって言ってるのに、理由もなく出し惜みする著作権野郎」と思っている。コンテンツ屋の私は前者の立場であったが、フロントメディアに来て後者の立場も理解できるようになった。
合流しながら違った色のままで流れて行くアマゾン川の風景をテレビで見たことがあるが、楽天とTBSは「合流」できるのだろうか?コンテンツ屋とIT屋に「融合」はあり得るのだろうか。
コンテンツ屋というのは実は非効率的な商売である。映画や音楽、雑誌や書籍、マンガやアニメ、ゲームもそうだが当たる確率は低い。コンテンツ屋のギャラを決めるのは労働量ではなくお客さんの評価である。だから金目当てでやるには余りにも割に合わないし、もしそうならコンテンツ屋なんかやってる場合ではない。
一方IT屋というのは最大効率を目指す商売である。コンテンツ配信にしても効率がよければ(売れれば)中味は何でもいいのである。ということで根本的に思考性が異なるコンテンツ屋とIT屋に言葉の互換性はない。
ライブドアとフジ、楽天とTBSもそうだがIT屋がコンテンツ屋を買おうとするから話がややこしくなるのである。このパターンだとほとんどうまくいく可能性はない。いっそコンテンツ屋がIT屋を買えばいいのである。実際、アメリカではコンテンツ屋(映画会社)がIT屋(ネット企業)をばんばん買いはじめている。だからTBSが楽天を買えばいいのである。
「放送と通信の融合」もそうだが、アメリカのようなコンテンツとメディアの垂直統合を進める上でのキー・プレイヤーは明らかに放送局である。映画のラインアップを見てもわかるように、実質的に製作・制作しているのはテレビ局であり、要するに日本の映像コンテンツを支配しているのである。
しかし、テレビ局は「放送と通信の融合」に消極的、アメリカの様な垂直統合も目指さない。どうして、ニューズやワーナーのようなコンテンツとメディアが融合した世界的なメガ・コンテンツ&メディア企業を目指さないのであろうか。余りにも美味しすぎる免許事業とはいえ、そろそろ世界を目指さないと日本のコンテンツ&メディアは取り残されるであろう。
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