製作と制作の定義づけ
しばしば誤解されがちなことであるが、アニメなどの映像をつくることにおいて、「製作」と「制作」では全く意味合いがちがう。小説家のように一人で作業が完結し、そのまま自分に著作権が帰属するものなら簡単であるが、多くの人間が参加する映像製作・制作においては各人の作業の定義、著作権の在り方が複雑になる。
簡単に言ってしまえば下に衣がつかない「制作」は実際に作品をつくる立場、「製作」はそれらの人間につくらせる立場をいう(法的にいうと、作品に対し発意と責任を負う立場の著作権者である)。前者は監督を頂点とした原作、脚本、作画、美術、音楽、声優、音響、特効、撮影、編集などの現場スタッフ(といいながら原作、脚本、音楽などはClassical Authorといって著作権が残るのでややこしいのだが) 、後者はプロデューサー(会社)であり製作委員会である。もちろん、プロデューサーが脚本を書いたりと往々にして立場が重複するが、基本的に映像ビジネスにおける両者の位置付は大きく異なっている。
評価対象としての作品は監督のものと言えるが、その所有権はプロデューサー(会社・製作委員会)にあるということである。原作、脚本、音楽などのClassical Author以外のスタッフは作品に参加することを約束すれば完成と同時に自動的に著作権がプロデューサーに移動するシステムになっている。監督も例外ではない。
『アニメビジネスがわかる』ではこのへんの認識を踏まえた上でプロデューサーの強化を訴えている。アメリカは徹底したプロデューサーシステム(製作主義)であり、日本はどちらかというとディレクターシステム(制作主義)である。エンタティンメントビジネス的に見るとアメリカのプロデューサーシステムに一日の長がある。プロデューサーの役割はビジネス的に最大値にするための総責任者である。つまり、作品の「経営者」なのだ。現場をディレクションするのがディレクター(監督)であり、その監督をディレクションするのがプロデューサーなのである。
実際、ハリウッドの監督は編集権を持っていない。ひたすらいい映像を撮るのが役目である。1940年からはじまった『トムとジェリー』(短編映画シリーズ)はアカデミー賞にノミネートされるとこ実に11回、受賞7回という不滅の金字塔を打ち立てたが、実際にステージで受賞したのはプロデューサーのフレッド・クィンビーだけで、原作・脚本・キャラデザイン・絵コンテ・演出・監督・音響を手がけたジョセフ・バーバラとウィリアム・ハンナ(ハンナ・バーバラ)は一度も晴れ舞台に立てなかった(ジョセフ・バーバラが繰り返しそのことを嘆いている)。
このへんについてもいずれ掘り下げていきたい課題であると考えている。
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