『オタク・イン・USA』パトリック・マシアス著/町山智浩訳
(06年太田出版1,480円税別)
アメリカンオタクが日本のファンタジーに魅せられる理由
アメリカにおけるオタク系マンガ・アニメの実体がわかり、読み物としても非常に面白い本である。
前回紹介した『ジャパナメリカ』はアメリカにおいて日本のマンガ・アニメ文化が一般層まで浮き上がってきた現象について触れているが、この本は名前から連想されるように深層部について書かれている。著者は六歳の時テレビで『ゴジラ』を見てはまってしまったとあるが、それ以降の日本遍歴は凄まじいものがある。結局それが昂じて現在日本に在住しているそうだ。真性のオタクならではのディープな状況が描かれており非常に興味深い。
この本には教えられるところが多い。特に、日本のマンガとアニメがどのようにアメリカで受容されたのか、またどのような文化的影響を与えたのかなどについて非常によくわかる。個人的にその区別がわからなかったアメリカでオタクを指す「Nerd(ナード)」と「Geek(ギーク)」の言葉や違い語源などもわかりやすく説明されている。
一見オタクのウンチク話に見えながら、この本が優れた文化評論になっているのはオタクの本質を見事に言い当てているからであろう。これには感心した。著者は日本のオタク文化がなぜ世界に受け入れられたかについてこう述べている。
「世界のオタクたちが日本のオタク文化とファースト・コンタクトするきっかけはそれぞれ違うけど、根っこの部分には共通するものがあると思う。つまり、彼らはみんな生まれてからずっと自分をとりまく環境、支配的な文化に
対して不満があって、そこからの脱出を日本製ファンタジーに求めたんだ」
Jocks(ジョックス。「体育会系」という意味で、運動選手が股間つけるサポーターの意味)が幅をきかす学校に耐えられず高校を中退した著者にとって、日本のマンガ・アニメは「新たなる希望」であったのだ。
唐突だが、以前紹介した『コンテンツ in 中国』を読んだ時にこのオタクの共通点を想い出した。おそらく中国にも著者と同様日本のマンガ・アニメに興味を持つ人間は多いであろうが、彼らは自分を「とりまく環境、支配的な文化」から脱出できているのだろうか?インターネットで日本のオタクアニメが闊歩しているというが、おそらくそれを自由に語り謳歌できる体制ではないはずである。
その意味でオタクの「含有率」はその社会の自由度を測る目安ではないかと思う。海賊版云々の問題はあるが、それ以前に中国に公然とマンガ・アニメを語るオタクが出現しない限りアニメビジネスの展望はない。
コメント