山本隆司『アメリカ著作権法の基礎知識』
(太田出版/3,000円税別)
著作権二つの潮流
世界的に著作権の流れはふたつあり日本はヨーロッパの流れを汲んでいる。それに対し世界最大のコンテンツ国アメリカは英米法の流れを汲んでおり著作権自体に対し根本的に考え方が異なる。日本やヨーロッパ系の著作権に対する概念は個人の権利を守ることに主眼が置かれており、英米のは産業・文化振興策としてある。
放送と通信の問題が進展を見せないのは知的立国による産業振興という方針に添って知的財産を遍く流通させようという流れと現行の著作権制度が齟齬をきたしているためである。日本の著作権制度は「著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的」となっており産業の発展という観点はない。かくいう私も長年その制度のもとでビジネスをしてきたため著作者等の権利をはかるのが第一義だと刷り込まれてきた。英米法の産業振興のための著作権という考え方が感覚的につかめない。
特に異なるのが著作権人格権でアメリカの著作権法にも(一部あるが)ビジネスマンにも基本的にこの考え方がない。だから原作の改編が容易である。もちろん原作者も変な改編をされないように頑張るがそれは契約を通してのことである。
またコンテンツのコピーライツに原作者の名前が入るようなこともない。本来二次著作物の場合であれば一次著作物の原作者の名前をコピーライツに入れる必要がないが日本では原作クレジットが半ば慣習化している。
コンテンツ製作者としては原作者の権利を抑えたいが、対流通になると自分が権利者になる。二次著作物の著作権者はそういった両義性を持つ。
おそらく日本でコンテンツビジネスをやっている人間は多かれ少なかれ日本的な著作権意識を持っているはずである。だから権利者保護より流通を優先する(ように見える)放送と通信の融合に戸惑いを覚えるのであろう。
商業的コンテンツをつくるものとしては少しでも多く流通した方がいいが、それは飽くまで著作権や著作権人格権が守られてのことである。コンテンツサイドと流通サイドの両者を利する法制度を考えない限り解決は有り得ないように思えるが、実際異なる立場の両方を満足させるのは調整が困難、というか不可能に近いであろう。
現行の著作権法は万人の利益は満たせない。もちろん法律で想定されていなかった貸しレコードのような事態にも対応できない。来年には大幅に著作権法が改正されるという観測があるが、それを頼みとするよりは極力当事者間の交渉で解決をはかれるような対応能力を養うべきであろう。
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