アニメ右肩上がりの要因2〜メディアの発展による牽引効果
2.1テレビによる牽引効果③〜日本のアニメ産業と東映動画
歴史は時々非常の興味深いコントラストを見せることがある。アメリカでテレビメディアが勃興し、アニメの黄金時代が終焉を迎えていた時期、逆に日本では新しい芽が生まれつつあった。
日本のアニメ産業の嚆矢ともいえる東映動画(現東映アニメーション)が生まれたのは1956年で、ちょうどアメリカのアニメが退潮期に入る時期だった(1953年ワーナーのアニメーション・スタジオ閉鎖、1955年にはディズニーの短編部門閉鎖、1957年MGMのアニメ部門閉鎖)。アメリカとちょうどクロスする形で日本のアニメ産業は誕生したのだ。
鉄道省の先輩である五島慶太に請われて東京急行電鉄に入社した大川博は、経営難に陥っていた系列の東映を立て直すという手腕を見せた。そして「東洋のディズニー」なるべく自らの肝いりで設立したのが東映動画であった。
東映動画は1958年、満を持して『白蛇伝』を世に送り出す。全ての面においてそれまでの劇場アニメとは桁外れのスケールを誇った、この日本初の総天然色長編劇場アニメは、興行ベストテンにも入り大川が意図する通りの大成功を収める。これにより東映動画は毎年長編劇場アニメを製作することを決定し、ようやく日本にもアニメ産業と呼べる動きが見られるようになった。
その後東映動画は『少年猿飛佐助』『西遊記』『安寿と厨子王』などヒット作をつくりつづける。しかしながら、日本においてアニメが産業として飛躍的に発展するのはテレビ時代になってからであった。
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