アニメ右肩上がりの要因2〜メディアの発展による牽引効果
1930年代から40年代にかけてハリウッド映画は絶頂期にあったが、同時にアニメもディズニーを中心に黄金時代を迎えていた。ミッキー・マウスやドナルド・ダックなどの人気キャラクターを抱えた上に、世界初の長編アニメーション『白雪姫』を大成功させることで不動の位置を築いたディズニーをはじめ、『ベティ・ブープ』『ポパイ』などのフライシャースタジオ、『バックスバニー』に代表される「白アリテラス」(ワーナー・ブラザーズ)、『トムとジェリー』のMGM、『ウッド・ペッカー』のウォルター・ランツ・スタジオなどが次々とヒット作を世に送り出した。
その当時のアニメは5分〜7分の長さであり、実写映画本編(1時間前後)の添え物で、アニメを見たさの子どもの親を引き寄せるための存在であった(『ベティ・ブープ』のように大人向けのアニメもあったが表現規制によって消えて行く)。そんな状況の中、1938年にディズニーが『白雪姫』を製作、「本編」としても取り扱われるようになった。しかしながら、当時において長編劇場アニメを製作しかつ成功したのはディズニーだけで、数量的には依然として短編アニメが圧倒的に多かった。
ところが1950年代に入るとテレビという恐るべきライバルが現れ映画界には深刻な不況が訪れる。またブロック・ブッキングという配給会社にとっては「天国」のような安定した収益システムも禁じられた。そのためハリウッドの映画会社は長編と短編アニメ、ニュース映画といった編成を長編2作、あるいは大作へという方向へ舵を切ることで切り抜けようとした。その結果コストのかかるアニメーション製作がリストラ対象のひとつとされた。こうしてワーナーやMGMをはじめとして1950年代後半に次々と映画会社のアニメーション部門が閉鎖されてゆくのである。
このテレビの洗礼を潜り抜けて生き延びたのは、テレビを映画の宣伝として有効につかったディズニーや、MGMから独立し、リミテッド・アニメーションによる手法で大量生産を可能にしたハンナ・バーベラらごくわずかであった。その意味で、アメリカにおいては日本とは逆に、テレビの登場によってアニメ黄金時代は終焉を迎えたのであった。その後アメリカでアニメーションが復活するのは、ディズニーがアイズナー/カッツエンバーグのコンビによる製作体制となる1980年代後半まで待たなければならない。
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