2007年を振り返る⑪〜「海外劇場アニメに減少傾向」その2
「産児制限」?できなかった3Dアニメ
2001年までアカデミー賞に長編アニメーション部門がなかったことに象徴されるように、アメリカの劇場長編アニメはディズニーの専売特許であった。そのため劇場アニメの製作数は限られていたが、1990年代にアイズナー/カッツエンバーグ体制によるディズニーアニメ復活に引きずられる形で製作数が増加した。
そこに登場したのが『トイ・ストーリー』である。フロンティア・スピリットに満ちた世界初の劇場長編3Dアニメは、新しもの好きなアメリカ人の心を捉え、1995年のBOX OFFICE1位に輝いた。これに対し、すでにディズニーを辞めてドリームワークスを設立していたカッツエンバーグが反応する。
ドリームワークスは『プリンス・オブ・エジプト』(1998年)から『シンドバット』(2003年)まで四つの2Dアニメ作品を製作したが、いずれも成功とは言い難く、特に最後の『シンドバット』では史上希に見る悲惨な興行成績であった。一方、『シュレック』をはじめとする3Dアニメでは大成功を収めその路線を確実なものにして行く。
こうして3Dアニメではピクサー/ディズニーとドリームワークスという二社で成功を分け合う体制となったが、当然の如く他のメジャー・スタジオがそこに目をつけたことは前回述べた。その時点で既に3Dアニメ制作のノウハウは一般化し、コストも半減していたので乗らない手はない。
このように各社の考えがシンクロし、せっせと3Dアニメ製作に励んだ結果、同じ年に大量の「子ども=作品」が生まれてしまったのが2006年であった。まあ、要するに「産児制限/バース・コントロール」が出来なかったという訳である。2006年の負け組の中には時期をずらせばよかったと思っている連中もいるに違いないだろうが、一度動き出したものを止めるのも、また出来上がったものを寝かして置くのも日進月歩のデジタル技術の世界では難しい。(この項続く)
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