『ドラゴンボール』実写化⑧〜脚本のクレジットを巡って
アメリカの場合、日本と違って作品を生み出す原動力となっているのは脚本である。もちろん、小説やコミツクを原作としたものも多いが、基本となるのがオリジナル脚本である。
アメリカ人は日本人がマンガを書くような感覚で脚本を書く。そのせいか脚本家志望の人間が実に多く層が厚い。コンテストをやらないとなかなか脚本が集まらない日本と違って、スタジオやエージェントには毎週山のようなシナリオが送られてくる。だからシナリオを事前に読んで、格付してからプロデューサーに渡すストーリー・アナリストといったビジネスが成り立つのである。
アメリカでは脚本が日本におけるマンガの役割を果たしている。つまり、ストーリーの源泉が脚本にあるということである。ハリウッド映画と日本のアニメの圧倒的質量はストーリーの源泉がガッチリ確保されているからに他ならない。
脚本のクレジットは一律ではなく、それを見れば成立の経由が一目でわかるようになっている。
〈脚本のクレジット例〉
◆ Written by=一人のライターがストーリーと脚本両方を創造したとき。すなわち、全体の作品がかんぜんなオリジナルで、最終の撮影台本の形式に他のライターが一切寄与していない
◆ Story by=ライターがストーリー(原作などのないオリジナル)を創造しているが、そのライターが脚本の最終ヴァージョンを書いてはいない
◆ Screen Story by=ライターが、新聞や雑誌の記事のような素材からストーリーを作っているが、その素材を一般的なアイデアとか事件としてだけ利用しているとき。登場人物や出来事、展開はライターのオリジナルである場合。脚本の最終的ヴァージョンは書いていない
◆ ScreenPlay by=ライターが脚本の最終ヴァージョンを書いているが、その脚本は別のライターのオリジナル脚本あるいはオリジナルのストーリーなど、先に存在した素材に基づいているとき。
(『ハリウッド脚本術』ニール・D・ヒックス著/濱口幸一訳/フィルム・アート社)
こうして見ると、自ずから脚本の序列が確認できるであろう。オリジナルは何よりもスタジオのクリエイティブ力の証明となる。原作者との煩雑な交渉が不要でクリエイティブコントロールが容易、かつ利益も大きい
それに対し、日本ではオリジナルで書こうが、マンガ原作をほとんど丸写ししようが、クレジットは一律「脚本」である。その上、脚本のギャラもDVDの印税もさほど開きがない(職能団体に所属している場合。ただし製作者によってはハッキリ差をつける場合もある)。
日本のオリジナル映像作品の場合、誰がオリジナルストーリーを考えたのかクレジットを見てもよくわからないケースが多い。オリジナル脚本の場合も含め、誰がそのストーリーを創作したのか明確にすべきではないか。また、インセンティブのためにも報酬制度なども考え直すべきであろう(少なくとも実写にとって脚本家不足は深刻なはずである)。
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