『中国動漫新人類』に見る中国動漫事情⑩〜結果論としてのダンピング
中国の制作者は、日本のアニメの価格が安いのは文化侵略のための「対外ダンピング」と考えているようだが、それは明らかに買い被りすぎであろう。日本がアニメを文化侵略のための道具だと思ったことなど一度もない。そもそも、マンガ・アニメを「文化」とは誰も考えてなかったし、したがって他国の文化を侵略するなどという発想自体生まれようがない。
アニメ製作者にしても国内の競争を勝ち抜くのに精一杯で、名作アニメのような一部を例外として海外を意識する余裕もなかった。海外市場はあくまで「余録」であった。
1970年代からヨーロッパやアジアで熱狂的な人気を勝ち得たアニメもあったが、アメリカのBOX OFFICEで1位になり、アカデミー賞を獲るなど誰も予測していなかった(ただし、アカデミー賞に長編アニメーション部門が出来たのは2001年だから予測できなかったのは当然であるが)。日本が海外市場を本格的に意識しだしたのは、数字が上がりはじめたここ10年くらいのことである。
マンガ・アニメが海外に進出するなど国だって微塵も思ってなかったであろう。1989年に手塚治虫が亡くなった時、麻生太郎氏が中曽根さんか後藤田さんに国民栄誉賞を贈るよう進言したところあっさり拒否された。マンガ・アニメが国の視界に入ってきたのはポケモン大ブレイクの2000年以降である。
ということで、官民揃って「対外ダンピング」の意志はなかったのは明らかである。が、しかし、この中国の制作者の言い分は一理あるかも知れない。どうしてかといえば、確かに自国でつくるより、ディズニーアニメを買うより安かったのは事実だからだ。それをダンピングと呼べるかどうかわからないが、結局他国のアニメを圧倒してしまったのは事実で、圧倒された側にして見ればそう見えても仕方がない部分もあるかも知れないからだ。
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