境真良『テレビ進化論 映像ビジネス覇権のゆくえ』(講談社現代新書720円+税)2〜手厚い保護がもたらした内弁慶型産業
元々コンテンツに関心がない政治家や官僚が興味を持つのは常にハコモノで、メディアや制度をつくってしまえばコンテンツは黙って付いてくると思っているようだ。そうした心性がメディアの領域においてキャプテンシステムをはじめとする多くの失策を生み出した(詳しくは『ニューメディア「誤算」の構造』(川本祐司/リベルタ出版)参照)。死屍累々、何の価値ももたらさなかったこれらの施策につかわれたのは国民の税金である。
まあ、天下国家を語る官僚が音楽に狂い、マンガやアニメに夢中になったらそもそも官僚にはなれなかったし、そもそもならなかったであろう。パトリック・マシアスが『オタク・イン・USA』で書いているように、オタクの心の奥底にはJocks(男性用サポーターの意味だが、体育会系の意味)に対する激しい反発があり、「生まれてからずっと自分をとりまく環境、支配的な文化に対して不満があって、そこからの脱出を日本製のファンタジーに求め」るところにある。そこに権力への指向は微塵も見られない。
日本で元気なコンテンツであるマンガ、アニメ、ゲームなどは全く政治と無関係であった。一銭の援助も貰わず、その代わりに一言の干渉もないまま(無視されていただけだが)勝手に育った産業ばかりである。その逆に、免許制度や再販価格制度といった政治の手厚い保護受けた放送、音楽、新聞といった業界は軒並み国際競争力のない内弁慶型産業となってしまった。
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