Vol.1〜20年間胸にわだかまっていたこと
今日から「手塚治虫生誕80周年〜ポッポカルチャーの元祖、その業績と評価」をブログ連載したいと思う。私が今回この連載をはじめようと思ったのは今年が手塚治虫生誕80周年ということもあるが、1989年以来ずっと胸にわだかまっていたことがあったからだ。それは何かというと手塚治虫が亡くなった時になぜ国民栄誉賞が授与されなかったという疑問(義憤に近いかも知れないが)を抱き続けていたからである。
かつて手塚治虫は「マンガ空気論」を唱えていたが、私にとって手塚治虫こそ「空気」のような存在であった。この感覚は手塚治を同時代的に体験している人間ならわかる感覚であると思う。だから、当然の如く国民栄誉賞が授与されるものと思っていたのであるが(麻生首相は推薦したそうだが)、事実は承知のようなものであった。
国民栄誉賞の主旨は、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」ことであるが、手塚治虫ほどこの賞の主旨に適った人間はいない。手塚治虫という存在は明らかに勲三等瑞宝章よりも国民栄誉賞がふさわしい。その証拠に2000年に毎日新聞が行った「二〇世紀に活躍した好きなマンガ家」という世論調査では、手塚治虫がその後国民栄誉賞を受賞した長谷川町子に倍以上の差をつけてトップになった。
ということで、手塚治虫の帰天以来、私は割り切れない思いを胸のうちに秘めていたのであるが、ある本との出会いがきっかけで手塚治虫は国民栄誉賞どころではなく、むしろノーベル賞にふさわしいのではないかと思いはじめた。そして、それは私にとって初の著作となった『アニメビジネスの文脈』を執筆する課程で確信に変わったのである。
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