Vol.24〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
漫画②〈新聞漫画〉
20世紀初頭、アメリカでは新聞の拡販競争手段としてコミック・ストリップ(新聞漫画)が大々的に取り扱われたこともあり大人から子どもまで絶大な人気を博するに至った。北沢楽天はそのような欧米の状況を知るにつけ、日本でも漫画を新聞に掲載したいと考え大正10年時事新報に日曜版漫画付録『時事漫画』をつけることに成功。これ以降日本でも新聞に漫画が掲載されることが一般的になってゆく。
そんな中でエポックメイキングであったのは、何といっても昭和11年から朝日新聞に掲載された横山隆一の『フクちゃん』であろう。その人気振りは実写・アニメ化された上、早稲田大学のマスコットになったことでもわかるように、のらくろに次いで登場した国民的なキャラクターであった。もちろん手塚治虫も大ファンだったようで、小学校に通う冬の通学電車で曇った窓ガラス一面にフクちゃんそっくりの似顔絵を描き級友を驚かせたというエピソードが残っている。
一方、子どもたちの間では「大毎小学生新聞」(現在の毎日小学生新聞/昭和11年創刊)に人気が集まっていた。それは主に田川水泡の漫画『小型の大将』が連載されていたためであるが、読み物も充実しており、手塚治虫が多大な影響を受けた海野十三の小説『火星兵団』(昭和14年)が連載されていた。この他にも「読売サンデー漫画」(のちに「よみうり少年新聞」に変更)には宍戸左行の『スピード太郎』が連載されており、その映画的手法を取り入れたスピード感溢れるコマ割は手塚に大きな影響を与えたとされている。
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