Vol.30〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
手塚治虫を育てた文化環境④〈映画〉〜その1
テレビと映画のパワーを併せ持ったスーパーメディア
年間365本見ると決めていた手塚治虫が映画から多大な影響を受けたことについては語り尽くされているが、それには当時テレビがなかったという事情もある。当時の映画は現在のテレビと映画を併せたスーパーメディアであり映像好きの人間にとっては唯一の情報源であったからだ。
最初は単に風景や風俗や写すだけの見世物であった「活動写真」は、次第に複雑なストーリーを伝えるメディアになり大正期から急速に発展、それまでの浪曲、落語、芝居といった既存の娯楽からその主役の座を奪い取った。
昭和11年日本劇場地下に日本初のニュース専門劇場「第一劇場」が誕生し、入場料が20銭ということもあり連日大盛況となったが、大阪でも後を追って10銭で見せる松竹系のニュース映画館が出現した。
手塚が子ども時代に母親と宝塚から大阪へしばしば出かけて漫画映画を見たといういうのはそうしたニュース映画館であった(主に大阪の朝日会館)。国内外のニュース、科学、文化やドキュメンタリーなどの教養作品、時には娯楽映画の名場面縮小版を上映、その合間に漫画映画をはさむといったプログラムは、現在のテレビ編成に近いものがあった。
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