手塚治虫の天賦の才を支えた資質②〈体力〉その3
突出した表現者に共通する旺盛な食欲
思うに日本で例外的に突出した表現を残した人間は精神面ではなく肉体面でも強靱な人間であると思われる。
「ステーキの上に鰻の蒲焼きをのせ、カレーもぶち込んだような、もう勘弁、腹がいっぱい」を『七人の侍』で撮りたいといった黒澤明は70歳にして『影武者』、75歳で『乱』、80歳で『夢』、81歳で『八月の狂詩曲(ラプソディ)』を監督するという驚異的なスタミナの持ち主であった。88歳で天寿を全うしたが、死ぬ間際まで次回作の案を練り続けていた。
また、ノーベル文学賞候補でもあった大作家谷崎潤一郎は65歳で『源氏物語』、70歳で『鍵』、75歳にして『瘋癲老人日記』で老人の性を描く問題作『瘋癲老人日記』を執筆した。1970年79歳で天寿を全うしたが明治生まれとしては相当な長生きである。そして、谷崎も黒澤同様死ぬ間際まで次回作の準備をしていたが、このエネルギー溢れる両者に共通しているのは大変な健啖家であるということだ。
そして、この両巨匠、及び手塚治虫に共通しているのは大変な健啖家であることだ。
黒澤明は牛肉には目がなく、高齢になってもステーキを食べ続けていた。また酒も強く、娘の黒澤和子によると「黒澤組の酒豪はホワイトホースの瓶を、すぐさま何ダースも空にする。父(*筆者注:黒澤明)と三船敏郎さんだけでも三本はゆうゆうであった」「八十過ぎても興にのれば一本の八分目は飲んだ」(『黒澤明の食卓』黒澤和子/小学館文庫)であったそうだ。
一方の谷崎潤一郎も「元来が健啖家で、且一升酒を嗜む」(「高血圧症の思い出」/谷崎潤一郎全集二〇巻)ほどであり、それが災いして晩年高血圧症に悩まされたが、長年親しんだ美食の習慣はなかなか捨てられず、体調がよくなるとビフテキを食べたり酒を飲んだりしていたそうなので、まさに「瘋癲老人」を地で行く老人であった。
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