手塚治虫の天賦の才を支えた資質③〈記憶力〉その1
一度見ると忘れない記憶の持ち主
超人的なエピソードが数多く残されている手塚治虫であるが、その中に記憶力にまつわるものの多い。実際、手塚治虫は抜群の記憶力の持ち主であったようで、それに関する逸話は枚挙にいとまがない。
「記憶力は抜群ですよ。例えば、アメリカから背景の指定をしてくる時に、『アトム』の何巻の何頁を開いてくれと」「言葉で説明つかない場合は、先生の記憶の引き出しから、何という作品の何巻目の何頁の何段目というのが出てくる」(福元一義/文藝別冊『手塚治虫』1995年5月25日号。少年画報社で手塚治虫の担当編集者となり、その後マンガとして独立、1970年からは手塚プロに入り手塚が亡くなるまでチーフアシスタントを勤めた)
「私は一度だけ先生にお会いしたことがありまして、双葉社の「スーパーアクション」という雑誌で、星野之信さんと諸星大二郎さんと手塚先生の鼎談をまとめたことがあるんです。もう十数年前ですけれど。その時に手塚先生の側から大友克洋さんの話題をふって、『みんな彼の影響を受けたけれども、星野君は影響を受けていませんね』みたいな話をされたんです。それで星野さんが、『いや、実は一度影響を受けたことがある』みたいなことを言うと、『そういえばあなたの作品のどこら辺のコマのその他大勢の顔が大友さんぽかったよね』みたいなことを仰るんですよ。それで星野さんが真っ青になった。ちょうど僕はその場にいたんですけれど、さすがに驚きました。
(竹熊健太郎/前掲書)
「何しろ、びっしり文字の詰まった分厚い医学書を車で移動中の1時間ほどで数冊読破し、お医者さん相手に見事に講演をやってのける人ですから」
(手塚プロダクション社長松谷孝征インタビュー/『手塚治虫完全解体新書』)
次から次へとつくり出されるストーリーの源泉は膨大な知識の蓄積にあったのは間違いないであろうが、どうやらそれは手塚が特殊な記憶システムを備えた人間であったためと思われる。それは、いわゆる「フォトグラフィック・メモリー」(photograhic memory、或いはEidetic memoryともいう)と呼ばれるもので、手塚はその持ち主であったと推測されるのである。
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