Vol.72〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密④
マンガ雑誌という特異メディアの存在〜その2
日本独特のマンガ雑誌という形態
日本のマンガ雑誌は講談社の『幼年倶楽部』『少年倶楽部』『少女倶楽部』など戦前からの読物雑誌にその源を発しているが、戦後になって次第にマンガ専門の形態となり雑誌メディアの中心に位置するようになった。敗戦翌年から数年創刊ラッシュが続き7〜8年ほどで1950〜60年代の子ども文化をリードした主要な雑誌が出揃っている。
日本のマンガ雑誌で特徴的なのは大手総合出版社の参入である。アメリカのDCコミック、マーベル・コミックを見てもわかるように、海外のコミックは専門出版の領域なので企業規模はそれほど大きくない。
ところが、日本では講談社、光文社、小学館、集英社といった大手がマンガに参入することで日本独特のマンガ雑誌という形態が可能になった。マンガに限らず雑誌の発行には体力がなければ続けられないが、「『少年マガジン』が採算ベースに乗ったのは1966年(昭和41年)に『巨人の星』の連載が開始され、発行部数が60万部を超えてからであった。
創刊から、足掛け7年かかったことになる」(『実録!少年マガジン編集部奮闘録』/講談社)と元少年マガジン編集長の宮原輝夫が述べているように中小出版社では到底この様な余裕は持ち得ない。このように、長期的視野に立って雑誌経営を考える余裕があったからこそ、クオリティの高い作品を発信することが出来たのである。
タイトルに「手」が抜けています
投稿情報: 誤字職人 | 2009/01/29 23:07
ご指摘有り難う御座います。
ブログの書き込みがうまく行かずバタバタしてしまいました。
投稿情報: 増田弘道 | 2009/01/30 08:32