第二部手塚治虫とアニメ
2−3 アメリカでブレイク
ポケモン劇的デビュー
それは「ポケモン」であった。短期的に見れば史上最強ともいえるこのキャラクターによって、最後の牙城であったアメリカのマーケットに一気に風穴が開いたのだ。
1999年の11月10日、アメリカでポケモンの劇場作品『Pokemon : The First Movie(邦題『ポケモン ミュウツーの逆襲』)』が、ハリウッドの大作レベルと同じ全米3,043館という規模で公開された。配給はワーナー・ブラザーズである。
ちなみに、同じ年に公開されたディズニーの『ターザン』3,005館、『スター・ウォーズ エピソード1』2,970館、『マトリックス』2,849館であった。
この作品はその期待に応えファースト・ウィーク(金、土、日の三日間)の興業で31,036,678ドル(当時のレートで約28億円)の興行収入を上げ全米興行チャートの一位に躍り出た。英語圏以外で製作された映画のヒットが非常に難しい北米ではまさに歴史的な快挙であり、このニュースは直ちに日本にも報道され話題を呼んだ。
興収は最終的に85,744,662ドル=約77億円に留まったが、それまでの『Shall We Dance?(シャル・ウイ・ダンス)』の持つ日本映画興行記録9,499,091ドルを大きく塗り替えた。
『Pokemon : The First Movie』は『ライオン・キング』の持つアニメ興行記録312,775,367ドルには遠く及ばなかったものの、この「事件」は日本人のみならずアメリカ人にも大きなショックを与えたのであった。
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