〈手塚治虫とアニメ〉アニメの繁栄を築いた手塚治虫
手塚治虫以降のアニメ4〜リミテッド・アニメさえ無理
手塚治虫はUPAの短編作品や昭和36年からフジテレビで放映されていたハンナ・バーバラ・プロダクションの『強妻天国』によって、当然このリミテッド・アニメの存在を知っていた。しかし、ただ作品を見ただけで同じようにつくれるかといえば余りに早計である。
ディズニーアニメから見ればかなり省略したリミテッド・アニメであっても、その製作費はハンナ・バーバラの『原始家族フリントストーン』(1960年)で1話当たり5万2千ドル(当時は1ドル=360円だったので1,560万円)であった。これは現在の感覚で考えるとおそらく数千万円に相当し今の日本の感覚で考えても相当高い。東映動画の劇場アニメ以上のレベルである。
ドルのレイトや人件費の差もあるが、アメリカではリミテッド・アニメでさえこれほど製作費をかけていた。このような30分サイズのTVアニメをハンナ・バーベラは60年代初頭に毎週五つも制作できる体制にあった。MGMやワーナーのアニメ部門が閉鎖されTVアニメに大勢流れてきたという事情もあるが、手塚がアトムの製作を開始する頃にはアメリカのTVアニメは絶頂期を迎えていたのであった。
このようなアメリカにおけるリミテッド・アニメの概況について手塚も漠然とは知ってはいたと思うが、その具体的な手法や制作工程、予算までの知識はなかったと思われる。いや、たとえ知っていたところで状況が変わるはずもなかった。あるのは手塚の堅い決心だけであった。
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