〈手塚治虫とアニメ〉アニメの繁栄を築いた手塚治虫
手塚治虫以降のアニメ5〜手塚流コンセプトエンジニアリング
結局、『鉄腕アトム』がスタートできたのは唐津一の言うような、ある種「コンセプトエンジニアリング」ともいうべき発想が手塚治虫にあったからであろう。
これは、まず目標を定めそれを成し遂げるための方策を新たに編み出すという発想法である。今まで200万で車をつくっていた会社が、10〜20%のコストカットをしようと思えば、従来のラインをいじることで達成できるであろう。
しかし、新しく 100万の車を出すということになれば、従来のラインを縮小するだけでは絶対に不可能である。一端従来の方法を破棄して新しい製造コンセプトに基づいて考 えなければとても半分のコストで車をつくることは出来ない。
手塚は従来の制作手法を一旦白紙に戻し、毎週アトムをオンエアーさせるために逆算してどのような制作手法を取ればよいのかを計算し、それに沿って制作現場、工程を組み立てたのである。東映動画と仕事をしつつ本人が感じたところの勝算があったのであろう。
日本ではフル・アニメ方式の呪縛が強かったため思い切った発想が採りにくかったが、手塚が決断したことで否が応でもリミテッド・アニメの道を歩まざるを得なくなった。そのため現場をはじめとする制作スタッフに対するプレッシャーは想像を絶するものがあったが、もしこの時手塚が決断しなければ日本におけるTVアニメのスタートはかなり遅れていたはずである。
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