『戦後民主主義と少女漫画』(飯沢耕太郎/PHP文庫740円税別)
女流マンガ家の存在論
写真家である著者が語るところの少女マンガ論である。しかしながら、著者と同年齢であるにも関わらず私は少女マンガについて述べることがほとんど出来ない。なぜなら本書に核となっているところの昭和24年組の少女マンガ家の作品をほとんど読んでいないからである。
これは私だけの感想かも知れないが、その昔、周囲の男の子を含め少女マンガを読む習慣はなかったように思える。そのため、楳図かずおの『へび少女』や『半漁人』、土田よしこの『つる姫じゃーっ!』などを例外として少女マンガの評価が高まるまでそれに接する機会は余りなかった。その意味で、コミュケの初代代表を務めた霜月たかなか氏もそうであるが(熱烈な竹宮恵子ファン)、いち早く少女マンガを「発見」した著者の感覚は先進的であったと思う。
少女マンガに目を通すようになったのは、24年組などの作家がかなりの評価を受けてからのことである。それも、自分から進んでというより仕事の関係で読むようになった部分が大きい。
例えば、萩尾望都の『11人いる』であるが、これは当時の会社がアニメ化をしたため読んだという経緯がある。新井素子の『扉を開けて』と併映で、当時の副社長が、「(劇場の)扉を開けて11人しかいなかったりしてね」と冗談を飛ばしていたが、確か熊本かどこかで入場者0人の上映回があったとのことでシャレにならなくなった。思うにアニメ化の時期が若干遅かったのではないか。
その後、山岸涼子の『日出処の天子』のアニメ化の話があり原作を読んだところ結構はまった。思えばその当時(80年代中盤)から男性マンガ雑誌に女性が書く機会が増え、ごく自然に女流マンガ家を受け入れる素地が出来たように思える。その草分けが高橋留美子さんであろうが、『うる星』の成功以降、ドッと男性市場に女流作家がなだれ込んできた。
巻末に「少女漫画名作一覧」があるのでそれに沿って上流マンガ家を総ざらいしてみるのも一興であろう。
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