『憂鬱と官能を教えた学校』その2
【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史
菊池成孔+大谷能生
世界で初めて流行音楽理論を教える存在であったバークリー。その中心にあったのがジャズであったが(昭和20年代、ジャズといえば流行音楽の代名詞であった。もっとも、ハワイアンやカントリーもその中に含まれていたのであるが・・・)、その理論は極めて高度である(といってもよくわかってないのですが)。
例えば、50年代のポピュラーミュージック(例えばプレスリー)とジャズの演奏を聞き比べればそれは一目瞭然である。ポピュラーは極めてアバウト、ベードラなんかを聞いても一定の法則がなく劣化が激しい。その点、ジャズの演奏は今聴いても少しも古くないのは時代に耐え得る理論に裏付けられているからであろう。
それに比べて映像はどうであろうか。果たして音符に匹敵するほどの記号化やその理論化は進んでいるはあるのだろうか。それは音楽理論と映像理論の本の量の違いを見れば明であるが(というほど調べている訳ではありませんが)、映像に関してはまだ体系化、理論化されていない部分が圧倒的に多い様に思える。これはアニメにおいても同じである。
ただ、画を描く手法は理論化されている(美術学校は昔からあります)。最近インタビューした小林七郎先生(としか言いようがないです)や芦田豊雄さんの話を伺っていると、その理論の精緻さに驚かされる(小林さんが書かれた『アニメーション美術』という本を読むとよくわかります。これ、絶版でアマゾンの古書で1万円!再販したいです)。
それに対しアニメ映像の制作理論はまだといったである。ましてビジネスにおいてはほとんど手が付けられていない(だから『アニメビジネスがわかる』を書いたというオチで終わりたいのですが)。アニメにおいてもバークリー・メソッドのような強力な理論を打ち立てるのは可能であろうか。
アニメ業界では万年人材不足と言われているが、足りないのは「人手」ではなく「才能」である。圧倒的な才能でアニメの未来を切り開く人間こそが求められているのであるが、当然そういった人材はピクサーのキャットムルも言ってる様に本当に少ない。バークリーの様な英才育成機関が出来ればハイパーな才能が育つかどうか考えてみる価値はあるのではないか。
(蛇足ながら・・・)
小林先生も芦田さんも、そしてワイエスの池田さんもおっしゃていたのは「基礎」でした。確かにスポーツの世界を考えると基本が出来てない人間はプロにはなれない。こんな簡単な話がアニメ制作を志す人たちに浸透していない気がするのですが・・・
そうですね、某制作会社の社長が求めるような巷のアニメ技法「理論」も人材の育成のための手段なのか、それとも選抜のための手段なのかわかりません。本質的には視聴者のための「理論」であるべきはずなのでしょうが。そして、そんな理論を駆使できる才能を発見するための手法であるべきなのでしょうけれど。
投稿情報: yujim | 2010/02/25 18:12
なるほど「視聴者」の視点が欠けているきらいは確かにありますね。
投稿情報: 増田 | 2010/02/27 18:00