『もっとわかるアニメビジネス』解説〜第一章アニメーションとビジネス14
60年体制が続く日本のアニメーション業界3
虫プロに負けず劣らずOBを輩出しているのがタツノコ。これは1977年に創業者である吉田竜夫が若くして亡くなってしまったことも関係あるだろう。
時間軸の順番で行くと、きのプロダクション(1965年)、葦プロ(1975年)、ぴえろ(1977年)、J.C.STAFF(1986年)、プロダクションIG(1987年)、ビィートレイン(1997年)、TNK(1999年)、PAワークス(2000年)、A-Line(2000年)。
また、私が在籍したキティフイルムも、アニメ部門の代表であった落合茂一が在籍していたこともあるので流れを汲んでいると言えるかも知れない(だから、『うる星やつら』の制作会社がぴえろだったのであろう)。
美術関係の会社も多い。プロダクション・アイ(1970年)、デザインオフィス・メカマン(1976年)、スタジオイースター(1985年)。そして、仕上げのスタジオ・タージ(1979年)など。プロダクションIGが大きくなり、今後ここから枝分かれする会社も増えるであろうから、タツノコのDNAは綿々と続くであろう。
トムスはテレコム・アニメーション(1975年)、ブレインスベース(1996年)、ユーフォーテーブル(2000年)、遊歩堂(2002年)、スタジオさきまくら(2011年)、などその業績やスケールを考えると意外と少ない。東映同様、本体が大きくしっかりしているからであろう。
東映アニメーションにはシンエイ動画(前身のAプロ1965年)、そこを経た亜細亜堂(1978年)の他、OHプロ!(1970年)、トップクラフト(1972年)→ジブリなど。倒産したがスタジオジュニオにも多くの東映人材がいた。
東映動画、東映アニメーションに関しては、日本のアニメ界に持つ人材潮流は別格であろう。ディズニーのようにアニメタレント(才能)、人材の源流である。虫プロを初め、色々な会社に多くの人材を供給しており、遡ればここにたどり着くことが多い。
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