『森川和代が生きた旧「満州」、その時代 革命と戦火を駆け抜けた青春期』
(北岡信夫/文芸社/1500円税別)
(2009年7月)
前回紹介した持永さんと同時期に「上海美術映画製作所」で働いていた方ということで購入した。森川さんの(著者は森川さんの旦那様)父親が松竹で映画のタイトルを描いており、満州に渡ったあと満映の仕事に就いていた関係で持永さんと一緒に働くようになったとのこと。
しかし、元々望んでアニメーションの仕事をしていた訳ではないということもあり持永さんに関する記述は極めて少ないが、興味を持った記述が一点。それはなぜ中国のアニメーションづくりの拠点として上海が選ばれたかということである。
中国のアニメーション制作の中心をどこに置くかに当たって、上海や蘇州、杭州などが候補に挙がっていたようであるが、蘇州は水が悪くセルを洗うと傷が付くという理由で上海が選ばれたようである。
「セルを洗う」という意味であるが、かつては貴重品だったセルを洗って再利用していたからである。アニメーターがスタジオ入りして最初に与えられるのがこの仕事で、ハンナ・バーベラのウィリアム・ハンナも最初はセル洗いだったと自叙伝に書いている。
今でも蘇州はアニメーションが盛んであるが、なるほど、ひょっとして「蘇州美術映画製作所」が生まれていた可能性もあったということである。
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