リチャード・フロリダ/井口典夫訳『クリエイティブ・クラスの世紀』
(07年/ダイヤモンド社/2,400円税別)
最初にこの本がわかりにくいと感じたのは、自明としてある「クリエィティブクラス」の定義がよくわからなかったからである。それもそのはず、この本はこの著者の2冊目の本で(『The Flight of the the Creative Class』)、1冊目の『The Rise of the Creative Class』が未訳のため(本年中に翻訳されるとのことであるが)、前提としてある「クリエィティブクラス」の説明が不充分だったためである。
従って、「クリエィティブクラス」というものがどういうもの曖昧なまま読み進めなければならない。ようやくその定義が現れるのは半分経過した168ページである。そこには、「広義のクリエィティブ・クラスは科学者、エンジニア、芸術家、文化創造者、経営者、専門家、技術者を含み、狭義の場合は技能者を含めない」とある。この本は、アメリカに集中していたそれらの人々が世界中に移動するということについて書かれた本である。
今や経済成長の中心となりつつあるクリエィティブ経済にとって必要なものは三つのT、技術(テクノロジー)、才能(タレント)、寛容性(トレランス)が必要とある。特に重要なのは寛容性で、人種や性別や職業に対する偏見から自由でない場所にクリエィティブ・クラスは根づかない。9・11以降のアメリカには次第にこの寛容性がなくなり、それを求める人々が世界中に移動していると著者は警告している。
アニメの現場に従事する人間にとってもこの寛容性を保証される労働環境が最重要である。多分現場にとっては経済的インセンティブよりこちらの方が大きい。幸いなことに、今の日本のアニメ業界は空前の生産量を誇っており選択肢を行使できるクリエーターにとっては非常にいい環境にある。
かつて、ハリウッドの大物監督が日本の優秀なアニメーターを引き抜こうとしたが誰も行かなかった。収入は数倍になっていたかも知れないが、彼らは日本に留まることを選んだ。労働環境がよくないといわれる日本のアニメ業界であるが、好きなことを好きなようにやれる職環境としては世界最高であろう。
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