Vol.13〜第一部手塚治虫とマンガ〜第一章マンガ大国ニッポン
6 手塚治虫が日本人に与えた影響
世界的に見てもこれほど大きなコミック市場が確立されている国はない。どの国でもマンガは子どもが一時期見るものというのが当たり前で、日本のように大人になってまで見るものではない。なぜ日本だけがこのような突出したマンガ文化・産業を築き上げるようになったのであろうか。
日本では講談社や小学館といった大手の総合出版社がマンガに積極的に取り組んだことも大きいが、やはり手塚治虫の力は見逃せないのではないだろうか。日本人がどれほど手塚治虫の影響を受けているかについては手塚が亡くなった際の「天声人語」の論説に尽きるであろう。これほどストレートに日本人とマンガの関係を言い当てた文章はない。多少長くなるが引用してみる。
「日本人は、なぜこんなにも漫画が好きなのか。電車の中で漫画週刊誌を読みふける姿は、外国人の目には異様に映るらしい。 しかし、さて私たちはなぜ漫画好きなのか、と思い悩む必要はなさそうなニュースが海外から聞こえてきた。マンガ日本経済入門」が西独で翻訳され、学生らに人気を呼んでいるという。米国では一足先に評判だ。なぜ、外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか。
答えの一つは、彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ。日本の戦後の漫画は、手塚治虫抜きにはありえない。ストーリー漫画とテレビアニメの創始者。少年マンガはむろんのこと、今日隆盛をきわめる少女漫画の主人公でも、あの長いまつ毛を持った美少年「アトム」の両性具有的なイメージに影響を受けていることは容易に推論できよう。
学生時代のデビューから、つねに漫画界の新しい分野を切り開く現役だった。その死去を聞いて、すでに四十歳半ばに達している最初の読者たちをはじめ多くのファンは、作品の主人公を思い浮かべながらそれぞれの感慨を抱くことだろう」
(朝日新聞の「天声人語」1989年2月10日)
以上であるが、私の実感からも全くその通りであると考える。もちろん、世代的な温度感の差もあるであろうが、今日のポップカルチャーの代表であるマンガ、アニメ文化の源流をつくったのは手塚治虫であることは間違いないと思う。ということでこれ以降その検証に入りたい。
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