Vol.16〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
戦前のピークは昭和八年
戦前のことをよく知る作家の故・山本夏彦は「戦前戦中まっ暗史観」について別の視点から次のように語っている。
「あなた方は戦前という時代はまっ暗だったと習ったでしょう。『戦中まっ暗史観』は社会主義者が言いふらしたんです。社会主義者は戦争中は牢屋にいた、転向して牢屋にいない者も常に「特高」に監視されていた。彼らにしてみれば、さぞまっ暗だったでしょう。でも社会主義者はほんのひと握りです。転向しなかった主義者は戦争が終わった途端にアメリカ軍によって解放され、凱旋将軍のように迎えられました」
(『誰か戦前を知らないか』山本夏彦/文藝春秋新書)
山本によれば獄中で非転向を貫いた日本共産党初代書記長徳田球一らは、戦後出獄すると国民的ヒーローとなり、「解放者」である連合軍の意図通りに「戦前戦中まっ暗史観」を労働組合や日教組を牙城として広める役割を果たした。その結果、戦後教育を受けた人間には「古いものは悪い、新しいものはいい」という刷り込みがなされたということである。だから大正4年(1915年)生まれの山本夏彦に言わせると戦前の日本は全然暗くない。
また戦前は貧しかったという印象が強いがその経済のピークは昭和8年で、その頃は結構繁栄を謳歌していたと山本は述べる。その後戦争に向かって景気は下り坂に向かい戦争終了前後にどん底となり、昭和8年の水準まで回復したのは神武景気が起こった昭和30年(1955年)であった。
戦後の教育を受けた人間は、何事においても戦後が戦前を上回っているような錯覚があるが(当然私もそう思っていた)、戦後10年間は少なくとも昭和8年以下の経済水準だったのだ。どうも我々が暗くて貧しかったと思っている戦前のイメージは、太平洋戦争に向けて本格的な軍事態勢に入った昭和10年以降から敗戦までのことであるようだ。ゆえに昭和31年の経済白書で「もはや戦後ではない」と謳ったのは、戦前を知る人間がようやくその経済的な実感をつかめたからでではないか。
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