Vol.42〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
手塚治虫を育てた地域環境①〈大阪〉〜その1
大大阪(だいおおさか)
今まで手塚治虫が育った文化環境について述べてきたが、ここからは生まれ育った地域環境がどのような影響を与えたかについて見てゆきたい。
手塚治虫は1928年に大阪府豊能群豊中町(現在の豊中市)で生まれ、5歳の時に宝塚に引っ越すが、幼年期から青年期にかけて大阪との繋がりは深く、有形無形の影響を受けている。
江戸時代に「天下の台所」と呼ばれ、商業・金融の中心であった大阪経済は幕末・明治維新に一時期衰退したものの繊維業を中心とする近代的製造業の展開によってめざましい回復を遂げた。「東洋のマンチェスター」と呼ばれた19世紀末から20世紀初頭にかけて日本の工業センターとして君臨し、戦時体制に突入する1930年代半ばまで全国一位の工業生産を誇っていた。
そんな大阪が合併によって面積が一挙に三倍、さらに市域の第二次拡張によって人口211万人となり、関東大震災のダメージを抜けきれない東京を抜いて日本第一の都市(世界第6位。東京は200万人で世界第7位)となったのは手塚が生まれる直前の大正14(1925年)であった。そんな大阪が「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれるようになった時代に手塚は生まれ育ったのであった。
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