手塚治虫の天賦の才を支えた資質①〈向上心〉その2
果てしなき向上心
手塚治虫は負けず嫌いであり激しい競争心持ち主であった。50年代初期に手塚と人気を二分したマンガ家福井英一に対する嫉妬を隠さず、福井が急死した時にはホッとしたと述べたほどであり、それ以降もライバルになりそうな新人が出現すると大家とは思えぬ過剰反応を示したが、手塚の場合それを自己研磨の原動力とさせることが出来た。おそらく60年代までの成功でマンガ界の大家という名声で生きていくという道もあったろうが決して現状に安住せず常に前進を続けようとした。これは手塚のモチベーションが如何に高かったという証左であるが、これはひとつの精神的な才能といってもいいだろう。
一般的に人間はある程度成功してしまうと仕事に対するモチベーションがなくなってしまう場合が多い。かつて尾崎豊の事務所の社長が、音楽界には「年収5千万円の法則」があると述べていた。これは音楽で成功し年収が5千万円になり、ベンツに乗って銀座で飲めるようになると何もしたいことがなくなるということである。実際成功を収めると表現欲を失ってゆくミュージシャンは多い。
ところが、手塚は33歳にして作家部門の長者番付の一位になり、その後常連となっても決してハングリーさを失わなかった。常にトップを目指し、そのためには努力を惜しまず、注目されている映画は見逃さないのはもちろん寝る間を惜しみながら噂になっているマンガや書籍に目を通す。文学から演劇や音楽、そして地理や歴史まで知らないことはないのではと思わせる博覧強記。
そして、時には巨匠のプライドをかなぐり捨ててまで新しい表現手法に取り組むその姿勢。ここでまで来ると、負けず嫌いや競争心というレベルではなく求道家に見えてくる。手塚にとってマンガ家は「ベルーフ」であったのではないか。一般的にこの言葉は「天職」と訳されるが、本来の意味は「招命」である。その意味で手塚治虫はマンガという福音を伝えるために神からつかわされた使徒とも言えるのではないだろうか。
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