手塚治虫の天賦の才を支えた資質③〈記憶力〉その3
手塚治虫のメモリーシステム
既述のエピソードを見てもわかるように、手塚治虫がフォトグラフィック・メモリーの持ち主であったことはほぼ間違いないであろう。実際そのメモリーシステムは限りなく「フォトグラフィック」であった。
「(*注:野球に興味のない手塚治虫が)どうしてもプロ野球を描かねばならなくなったのです。必要に迫られた手塚先生は、仕方なく取材がてら後楽園(*注:現東京ドーム)に出かけられました。(中略)試合シーンはもちろん、「後楽園球場」の描き方が非の打ち所がないくらい精緻を極めていたからです。よく通っている野球好きのファンでも到底気づかないような細かいところまで再現されていたのです。例えば正銘のライトの数まで一つも違わず、といった具合です。もちろん、球場にはカメラやスケッチブックはおろかメモ帳も持ち込んではいません」
(『マンガの神様』鈴木光昭/白泉社)
また、手塚のマネージャーであった今井義章もその記憶力に対し、「(こんなことが人間の頭でできるもんだろうか、眼がカメラみたいになっているとしか考えようがない・・・・)」と述べているが、まさにカメラのような記憶システムであったのだ。それがあったからこそ、アニメの動画を描かせても、「(*注:手塚治虫が)あっという間の一時間足らずの間に、何と一シーンの動画(つまりフイルムのひとコマ分ずつ)六十数枚が、描き上げられたのです」(前掲『マンガの神様』)ということも可能であった。
ミッキーマウスのキャラクターデザインで知られる伝説的なアニメーター、アブ・アイワークスは一日で700枚もの原動画を描いたと記録に残っているが、手塚はおそらくそれに匹敵するスピードの持ち主であった。
通常、動画マンが描けるのは多くて一日数十枚程度であり、手塚やアブ・アイワークスが驚異的なスピードで原動画を描けたのは自分自身が創造したキャラクターであったため、明確な映像が頭の中で既に出来上がっていたからであろう。つまり、手塚やアブ・アイワークスひたすらそのイメージを動画用紙に描き写していただけなのである。
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