マンガを物語伝達の最適表現メディアとする
我々はマンガの隆盛をごく当然のことと受け止めているが、日本にマンガが発展する「歴史的必然性」はなかった。アメリカのように映画でもよかったし、小説や演劇でもよかったはずである。
しかし、日本では手塚治虫の存在以外があったためマンガがそれら競合メディアを制して主導的立場に着くことが出来た。これこそが手塚治虫最大の業績であるが、ではどうやってマンガをその位置につかせることが出来たのであろうか。ここでは手塚がマンガをどのように物語メディアとして最適化したのか、その理由を探ってみたいと思う。
最適化①〈先行文化の統合と文学並みのストーリー性の付加〉
あらゆる先行文化を統合
手塚治虫が物語メディアとしてのマンガを最適化することに成功した最大の理由はエンタティンメント精神に富んだ複雑なストーリーをマンガというメディアに定着させることに成功したからであろう。多くの論者が指摘する通り手塚は様々な先行文化を集積しそれをストーリーマンガという形態に結実することに成功した。
これについては本人も、「手塚マンガは昭和のマンガ史のカリチュアライズしたものといっていいと思いますね(笑)」(『漫画の奥義』)と語っており、手塚のマンガには戦前の漫画だけではなく、講談や落語といった日本の伝統文化から、紙芝居、宝塚歌劇、映画、アニメ、SF、文学、アメコミといったあらゆる文化が集積・統合されている。
それらの文化、特に漫画や映画やアニメ、文学といったジャンルに対する手塚の造詣の深さには舌を巻くものがあるが、これを自家薬籠中の物とした上で“マンガ”という表現に結実させたところに手塚の真骨頂があるのではないか。
その意味で手塚は日本の「漫画」を「マンガ」にした一大イノベーターであったと言えよう。
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