第二部手塚治虫とアニメ
2−3 アメリカでブレイク
用意周到な計画
このポケモンの大ブレイクには周到に練られた計画があった。
まず、1998年9月7日からシンジケーションネット網でテレビ番組がスタート(月〜金放映)、全米の80%以上の世帯をカバーする。同年9月27日、任天堂の「ゲームボーイ」用ソフト「Pokemon Red」「Pokemon Blue」が同時発売、11月には小学館の現地法人であるビズ・コミュニケーションからコミックとビデオが、大手玩具メーカーであるハズブロからポケモンのぬいぐるみやフィギュアが順次売り出されていた。そういったマーケットの下地づくりがあった上で、翌99年1月にはあの伝説的なトレーディングカードが発売される。
さらに、2月からはシンジケーションでの高視聴率をバックに、土曜午前中というアメリカの子どもたちの「ゴ−ルデンタイム」にある「Kids WB」(ワーナー・ブラザーズの全米ネットワークでオンエアーされている子ども向け番組)枠で新作の放映が開始されている。これらの一連の仕掛けの上にダメ押しする形で11月に映画が公開され、ポケモン大ブレイクのイメージを決定的なものとしたのだ。
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