〈手塚治虫とアニメ〉アニメの繁栄を築いた手塚治虫
手塚治虫以前のアニメ4〜変化の兆しとTVアニメの胎動
東映動画によって1959年代後半からから60年代後半へかけて数々の名作・力作劇場アニメが製作され、人材面を含め日本のアニメ産業の基礎をつくった。もし東映動画が設立されていなければ日本のアニメ産業がスタートするのも随分遅れていたはずである。
しかしながら、この東映動画のオリジナル長編アニメ路線も、1960年(昭和35年)を堺に、アメリカ同様テレビの影響を受け映画全体の観客動員が落ちることで次第にビジネス環境が悪化していき、1963年からはじまったTVアニメによって決定的なものになる。
『鉄腕アトム』以降巻き起こった怒濤のようなTVアニメブームの中、東映動画も製作方針の変更を余儀なくされその主戦場をテレビに移すことになる。
1953年(昭和28年)から放送が開始されたテレビは、1960年(昭和35年)の今上天皇ご成婚をきっかけに急激に普及しマスメディアの中心となってゆく。そして、それと相前後するように映画産業は60年代中盤以降長期的な停滞期に入り、最大7,457あったスクリーン数を急速に減らしはじめる。
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